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  • 2016.01.29 Friday
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エジプト文明序論

エジプト文明序論より http://www.snsi-j.jp/boards/isde1901/4.html
R・A・シュヴァレ・ド・ルービッチ(1891-1962年)は、アルザス出身の哲学者であり、東洋学者であり、数学者であった。彼は、シンボル主義的エジプト解釈を行ない、古代エジプト文明を新しく解釈し直した。(ルービッチ氏は交通事故でなくなったという。) ジョン・アンソニー・ウェストの『天空の蛇(Serpent in the Sky)』(翔泳社1997年、原書1993年、原書初版1978年)という本は、このルービッチのエジプト解釈を一般読者に紹介する為に、書かれたものである。 欧米でも殆どの人々は、おぼろげな古代エジプト像しか持っていないという。つまり、エジプト文明は興味のない、とるに足りない過去の文明だということになる。

[天空の蛇より] 実際のところ、殆どのアメリカの読者はおぼろげな古代エジプト像しか持っていない。それも高校か大学の古代史授業をかすかにおぼえている程度だ。通常、そのような授業では「古代エジプト文明は、驚くべき建造物をつくった自己中心的なファラオ=王と、独創性のない、迷信深い庶民で構成されていた」と教えられている。(「はじめに」より) 日本でも同じだろう。殆どの人が、エジプト文明には自分たち現代人が学び参考にすべきものがないと、思って(思い込んで)いる。 ところが、ルービッチなどシンボル主義者のエジプト観は、古代エジプト文明には、学ぶことがたくさんあると見なしている。 シンボル主義者のエジプト観はまったく異なっている。古代エジプト文明は哲学的に、また精神的に―そして、ある分野では科学的にさえ―現代よりはるかに進歩しており、学ぶことがたくさんあると見なしているのだ。(略) ルービッチのシンボル主義的エジプト解釈は、近代思想全般に深い影響を与える。それも特に歴史や文明の進化を考察するに当たって、大きく影響する。 古代エジプトは孤立していたわけではない。エジプトは聖なる科学によって活気づき、維持されたが、ほかの古代文明にも同じように聖なる科学があったにちがいない。(「はじめに」より) 古代エジプト人の科学や医学、数学や天文学は、現代の学者が認めているよりも、はるかに精緻で洗練されていたのだ。古代エジプト文明は、完璧で、精緻な「普遍的法則」の理解を基礎にしていた。矛盾のない首尾一貫した相関関係のシステムを見れば、彼らの理解がどれほど深かったかがわかる。そのシステムとは、科学と芸術と宗教を一つの有機体として統合するものである。言い換えれば、現代社会とは正反対のシステムだ。(P1-2) もしも西欧の芸術家が才能に恵まれ、規律もあり、自らを、そして自らの動機を理解すれば、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲やドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』のような作品を生み出せるかもしれない。だが、才能もなく規律もなければ、子供のころの不幸を死ぬまで嘆き、人種差別に不平を鳴らし、勝ちある知識を得ることもないだろう。 ところが、古代エジプトでは無名の賢人たちが、現代における芸術家の役割を果たしていた。彼らが神殿や彫像や壁の浮き彫りを設計したのだった。・・・仕事を成功させると「宇宙の特殊な知恵」に対する理解が深まることが保証されていた。これらの膨大な仕事は、最初から神殿の持つ叡智を、作業を通じて洞察できるように設計されていた。それは石の切り出し職人から彫刻家、画家、そして石工の巨匠まで、すべてのレベルを対象としていた。(P124-125) 古代エジプトでは、科学と芸術と宗教は一つの有機体として統合した「聖なる科学」(つまり「聖なる知恵」)であった。また、ほかの古代文明にも、同じようにこの「聖なる科学」があったということだ。 エジプトのヒエログリフの意味はシャンポリオンによって19世紀はじめに解読されている。だが、古代エジプトの著作は、その思想や信念はほとんど理解されないままに、エジプト学者によって解釈されてきた。これはちょうど、いま英語を教える教師がシェークスピアの創作した物語に秘められているヘルメス哲学(錬金術など古代から伝わる秘密の知識)をほとんど理解していないのとよく似ている。実際のところ、古代エジプトの文献とシェークスピアの物語に含まれる知識はまったく同じものなのだ。 ルービッチはヘルメス哲学にたいへん詳しく、インド人、中国人、仏教徒、神智学者、ヨガ行者が伝えている東洋の宗教への造詣も深かった。ルービッチはまったく同じ知識がエジプトの絵文字、彫像、神殿に組み込まれていることに、すぐに気づいた。古代エジプトのヒエログリフはヘルメス哲学のメッセージをシンボルで伝えていると解釈することで、「聖なる科学」の最も古い源がエジプトにあるとルービッチは気づいた。(ピーター・トンプキンス「解説」P409-410) 古代インド、古代中国の宗教や哲学や学問の最も古い源が、エジプトにあるというのだ。おそらく古代メソポタミア文明もその善きところはエジプトから来ているのではなかろうか。 ヒンズー教に根本的な影響を与えたインダス文明は、前2300年から前1700年までである。そのヒンズー教や、釈迦(前6世紀〜前4世紀頃)や孔子(前552または551〜前479)や老子(不詳、前4世紀頃?)は、その奥深いところで大きな影響を、エジプトから受けているようである。 ギリシアにおけるエジプト文明の「聖なる科学」の継承者は、プラトン(前428頃-347頃)とピタゴラス(前582頃-500頃)であったという。 「数」や「幾何学」や「調和」に対する考え方を修正する必要があると認めてしまえば、古代エジプトが理解できるようになる。古代エジプトはプラトンとピタゴラスの思想の源であり、これらの思想や教えが4000年にわたってこの文明を支配していた。(P103) ピタゴラス教団はピタゴラスが設立し、数学、哲学、調和などの理論を日常の倫理や実生活に応用した。教団は数十年で解散しているが、その後も小さなグループや個人がピタゴラス学派を自称した。 「数」の神秘主義は退化し、散逸したが、リズム、調和、均衡に関するピタゴラスの原理は、芸術や建築に重要な、ときには支配的な影響を及ぼしてきた。個人的体験から「宇宙には根本的な秩序がある」と信じている人々は誰でも、これらの原理を納得することができた(今でも納得できる)。(P28) プラトンは自著『ティマイオス』で、自分がピタゴラス学派であることを告白した。3世紀から5世紀にかけて活躍した、アレキサンドリアの新プラトン主義者たちもそうだった。(P28-29)
プラトンの『メノン』(岩波文庫1994年)には、「秘儀」や「輪廻転生」が出てくる。
[メノンより] ソクラテス:だがね、アレクシデモスの子息よ、僕の信じるところでは、さっきの答えの方が優れているのだよ。やがて君もそう思うようになることだろう。もし君が、昨日言っていたように、秘儀を授かる前に行ってしまわなければならないのではなくて、ここにとどまって秘儀を授かるのであればね。(76E) (訳者注)秘儀(ミュステーリア)というのは、穀神もしくは大地母神デメテルをまつる祭儀で、数々の準備的儀式と精進をつんだ少数の者のみに参加が許され、その最高の段階としての奥義を伝授された者は、永遠の幸福を約束された。アッティカのエレウシスで行われた秘儀が最も有名である。プラトンはしばしば、哲学や真実の知を、この秘儀にたとえている。(P119-120) ソクラテス:…こうして、魂は不死なるものであり、既に幾たびとなく生まれ変わってきたものであるから、そして、この世の者たるとハデス(冥界)の国の者たるとを問わず、一切のありとあらゆるものを見てきたのであるから、魂が既に学んでしまっていないようなものは、何一つないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起こすことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、全て互いに親近な繋がりをもっていて、しかも魂はあらゆるものを既に学んでしまっているのだから、もし人が勇気を持ち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを想い起したこと―このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいる訳だが―その想起がきっかけとなって、おのずから他の全てのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、実は全体として、想起することに他ならないからである。だから我々は、さっきの論争家好みの議論を信じてはならない。なぜならあの議論は、我々を怠惰にするだろうし、惰弱な人間の耳にこそ快く響くものだが、これに対して今の説は、仕事と探求への意欲を鼓舞するものだからだ。僕はこの説が真実であることを信じて、君と一緒に、徳とは何であるかを探求するつもりだ。(81C-D) 単純な「輪廻転生」は信じられないが、この世に生まれたということは、その身体は「あらゆるものを学んでしまっている」ということは理解できる。だから学ぶということは、「想起する」こととなるという。これは経験的に了解できる。「秘儀」とは「想起する」為のものだろう。ここでは「輪廻転生」説は「想起」説を説得する為に用いられている。 ソクラテス(前470-399)は石工ソフロニスコスと助産婦ファイナレテの息子としてアテネに生まれたという。石工ソフロニスコスはエジプトから拉致されてきたのであろうか。あるいはその子孫であるのだろうか。ソクラテスは最初父の職業をつぎ、伝統にしたがって三美神の彫像群を制作し、アクロポリス神殿に献じたこともある(この彫像は2世紀まで神殿の入り口にたっていた)という。アテネのパルテノン神殿(前447年着工、前438年完成)は、エジプトのルクソール神殿同様に、厳密な調和とプロポーションに基づいて建設された宗教的建造物だという。このころのアテネには、エジプトから来た技術者や石工が多くいたのではなかろうか。ソクラテスがエジプト文明を受け継いでいても不思議ではない。 それ以後の継承者は、秘密結社や感性の鋭い芸術家たちであったという。
[天空の蛇より] 「聖なる科学」とは「永遠哲学」と呼ばれるものの基礎となっている。「永遠哲学」の断片は、グノーシス主義者、スーフィー主義者(イスラム教の神秘主義者)、秘教主義者、薔薇十字団員、フリーメーソンに生き続けている。だが主としては、悟りを開いた千里眼を持つ巨匠たちによって保持されてきたと言えよう。(ピーター・トンプキンス「解説」P409-410) エジプトの「テンプル」の知恵は、エジプト文明の滅亡後、本来の姿が損なわれてしまった。だが、錬金術師、グノーシス派、新プラトン派、カバラ派、フリーメーソン、スーフィズム(イスラム教神秘主義)など、明確な中央組織のない、どちらかというと秘密結社的グループによって今日まで細々と引き継がれてきた。ポール・タナリーの主張によれば、1341年ビザンチンのラブダスという数学者が、平方根の開立にエジプトの分数システムを用いていたという。この知恵が完全に失われたのがいつなのか、誰にも解らない。(P184) グノーシス派、ヘルメス学、錬金術の社会で、多かれ少なかれ、地下活動としてピタゴラス学説は生き残った。いずれにせよピタゴラス学説は生き残り、ゴシック様式の大聖堂という形をとって、満開の姿を現したのだ。 ゴシック様式の大聖堂にまつわる謎はいまだに多い。大聖堂の建設に用いられた技術はそのころまでにキリスト教に取り入れられていた伝統的な工法とはまったく異なっている。…ゴシック様式の大聖堂建設者は11世紀のフランスに現れた。以後3世紀にわたって、この動きはヨーロッパ中に広がった。だが、指導者も何もかも、出現した時と同じように、突然消え失せてしまった。後世の大聖堂、たとえばローマの聖ペテロ大聖堂、ロンドンのセントポール大寺院などが与える影響とは大きく異なっている。これは誰でも気づくだろう。… ゴシック様式の大聖堂はパルテノン神殿やタージマハル寺院と同様な影響を与える。誰が設計したにせよ、宇宙的な調和やリズムの法則、均衡の法則を正確に把握していたことがわかる。そして、人々に影響を与える方法についても、正確で深い知識を持っていた。 ゴシック様式の大聖堂時代はヨーロッパ文明の絶頂期だった。大聖堂の建設に使われた正確な知識は、ミステリーのように失われたか、散逸してしまった。そして西洋では、もう二度と活気ある力とはならなかった。だがその知識はギルド、錬金術師、カバラ主義者、薔薇十字団、フリーメーソンに浸透している。そして、ルービッチは彼らの著作に精通していたのである。(P29-30) この著者ウェストによると、ヨーロッパは11世紀から3世紀ほど(ということは、11〜14世紀ということになる)が最も活気ある時期ということになる。これは私たちにとって意外な歴史解釈であり、理解不能である。しかしもしかしたら、この歴史解釈は正しいのかもしれない。 いずれにせよ、秘密結社の中には、エジプト文明を継承しようとした、善い結社もあったようだ。 ところで、エジプト文明は我々が考える以上に高度であったが、その文明はその初めから高度であったという。 エジプトのあらゆる分野の知識は最初の時点から完成していたようである。科学、芸術や建築の手法、ヒエログリフの体系など、いずれも「発展」を匂わせる形跡がまったくない。実のところ、初期王朝時代に達成された業績の多くは、その後、追い越されることがなかった。(P2) 本当に、現代は進歩しているのだろうか。私たちはルービッチやウェスト、プラントンやピタゴラスに導かれつつ古代文明を本当に知る必要があるのではなかろうか。
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エジプト文明は現代人が考える以上に高度であったが、その文明はその初めから高度であったという。 [天空の蛇より] エジプトのあらゆる分野の知識は最初の時点から完成していたようである。科学、芸術や建築の手法、ヒエログリフの体系など、いずれも「発展」を匂わせる形跡がまったくない。実のところ、初期王朝時代に達成された業績の多くは、その後、追い越されることがなかった。いや、それどころか匹敵するものさえ現れなかったのである。このおどろくべき事実については、主流はエジプト学者もためらうことなく認めている。(略) しかし、複雑な文明がいきなり成熟しきった状態で現れることなど、果たしてあるだろうか?1905年製の車と現代の車を比較してみるといい。自動車の発展段階を見逃す人はいない。だが、エジプト文明には発展段階がない。はじめから何もかも揃っていたのだ。 この謎に対する答えはもちろんはっきりしている。だが現代の考え方に合わないので、真剣に検討されることがなかった。古代エジプト文明は「発展」したものではなく、「遺産」だったのだ。(P2) 古代エジプト文明は「発展」したものではなく、「遺産」だったという。 エジプトでは紀元前6000年頃から、いくつかの新石器文化がほぼ同時期に存在していたと言われている。これらの文化はいずれも、永久不変なものを建造することもなく、美術工芸品は単純で未発達だった。(略) これらの素朴な文化は、穀物を耕作し、家畜を飼いならしていたのだ。どのようにして野生の穀物が耕作され、野生動物が永久に飼いならされるようになったのか、明確な答えは得られていない(略)。 歴史上の記録をみても、新たに飼いならされた動物はいない。つまり、私たちの知る家畜はすべて、歴史が幕を開けた瞬間からすでに存在していた。また新しく耕作された穀物もない。 人間にとって、穀物の耕作と動物の家畜化は、言語の発明に続く重大な業績だったと言える。今日、人間は月に達することができるが、シマウマやほかの動物を飼いならすことはできない。そもそも、どのようにして動物を家畜化したのかもわからない。可能なのは推測だけである。これを、「火打ち石を使い、粗雑な敷物や陶器を作る人々の功績」とすることに無理があるのだ。(略)こうした発明も「より以前の、より高度な文明」の功績と考えるほうが自然だろう。(P354-355) ウェストは、エジプト王名表では、紀元前3万年頃から神々による統治があったことを指摘する。
◎『天空の蛇』より… だが、エジプト人による年代の記述が存在する。 発掘されたエジプトの王名表があるが、それではエジプト誕生を王朝時代よりもはるか前に設定している。… エジプトは長い間ネテルに統治され、その後、同じくらい長い間シェムス・ホル(ホルスの仲間たち)の統治があった、という記述が、さまざまな資料に見られる。王名表のもつれを解きほぐすことはできないし、計算方法にもよって異なるが、エジプトの誕生は早いもので紀元3万年ごろ、遅いもので紀元前2万3000年ごろとなる。この差は大きいが、それぞれの史料がまったく独立していることを考慮すると、似た年代の範囲内と言えるだろう。 ヘロドトスはあるガイドの言葉を書き残している。それによると、エジプトの歴史では「太陽は現在沈むところから2回登り、昇るところから2回沈んだ」という。ルービッチはこの文章を「歳差運動の周期を1回半めぐった」という意味に捉えている。そうなると、エジプト誕生の時期は紀元前3万6000年となり、広義では他の史料と一致する。(P355-357)
◎ヘロドトス『歴史・上』より… またこの期間中、太陽が4度その正常位置より外れて昇ったという。現在太陽の沈んでいる方角から登ったのが2度、現在登っている方角へ沈んだのが2度あったというのである。しかもエジプトの国内ではその際に何の異常も起こらず、陸や河からの収穫物、病や死亡に関する事柄にも影響はなかったという。(巻2-142)
ウェストは、こうしたことや、アメリカ大陸の文明とエジプト文明とのあいだの、文化、科学、言語、数学などの類似点などから、「アトランティス」が無視できないと主張する。 こうした証拠に加え、天変地異や大洪水に関しての伝説が世界中にあることを忘れてはならない。「天変地異」は地質学や他の科学分野で議論を重ねている。中央アメリカとエジプトの文明のあいだには文化、科学、言語、数学などに類似点が見られる。さらに最近の考古学的発見は、文明の起源をますます太古に押し下げている。古代人類が保持していた科学知識の評価も高まっている。これだけの証拠がそろっていれば、真実を真剣に求める人は「アトランティス」を無視するわけにはいかない。(P357) ルービッチによると、エジプト王朝やその他の知られている文明よりも数千年も前に、より偉大な文明が存在したことを証明できるという。言い換えれば、「アトランティス」も、聖書に書かれている大洪水も、歴史的な事実であったことを証明できるのだ(ここで「アトランティス」と括弧でくくったのは、高度に洗練され、伝説となった古代文明の地理的位置ではなく、存在そのものを問題としている為)。 「アトランティス」が存在した事実は、簡単な地質学的証拠をもとに証明できる。 だがその年代や消えた原因の答えは出ない。さらには「アトランティス」に存在した知恵を、誰がどのように保存し、伝えたのかも明らかでない。だが、その存在を否定することは今や難しい。(P2-3)
また、スフィンクスには水による、すなわち雨による侵食が見られる(ルービッチも指摘)という。ということは、スフィンクスは前1万年前に造られたことを意味するということだ。(アンドルー・コリンズ『天使の灰の中から』翔泳社1997年)スフィンクスは、ピラミッドと同時に造られた(前2550年頃)というのが定説である。結局、つまり古代エジプト文明は「発展した」のではなく、「アトランティス」からの「遺産」だったというのだ。では、「アトランティス」とはどんなものか。 ◎『天空の蛇』より… アトランティスの伝説は主としてプラトン(前428頃-347頃)の著書『ティマイオス』の記述に基づいている。その話は賢人ソロン(前638頃-559頃)から聞いたとされるが、そのソロンはアトランティスの話をエジプトで聞いている。殆どの学者はこの伝説を無視してきたが、数名の学者は何らかの歴史的根拠があるはずだと信じてきた。 (略)最近、クレタ島の近くで発見されたテラ島は、紀元前1500年頃の大地震で地中海に沈んでいる。そのときの災害にアトランティス伝説の根拠を求めた学者たちもいる。プラトンはアトランティスの島が沈没した年を紀元前1万年としていたが、学者たちは、「プラトンはゼロをひとつ余分につけたのではないか」と考えた。 しかし、プラトンが描いた文明は、彼が生きた時代のいかなる文明よりもはるかに洗練されていた。最盛期を迎えていた中王国時代のエジプトが、取るに足らない小さなテラ島の滅亡を伝説として語り継いだとしたら、それは奇妙だ。また、世界各地に存在する洪水や天変地異の伝説がなぜ生まれたかも解釈できない。(P354)
◎マイクロソフト『エンカルタ百科事典2001』より… 【 アトランティス Atlantis 】古代の伝説の島。かつてギリシャ人が「ヘラクレスの柱」とよんでいたジブラルタル海峡のはるか西方のアトランティス海(大西洋)にあったという。記録にのこる最初の記述は、地震の結果、大西洋にのみこまれたというもので、プラトンの2つの対話編「ティマイオス」と「クリティアス」にあらわれる。 「ティマイオス」では、アテネの政治家で詩人でもあったソロンがエジプトを旅行したときに、土地の神官が彼に古い記録をかたる。神官によれば、アトランティスは小アジアとリビアを合わせたよりも大きく、当時のおよそ9000年前、そこを中心に文明が繁栄しており、アテネ人を除く全ての地中海の人々を征服していたという。「クリティアス」では、アトランティスの歴史が語られ、この国を理想の国家として賞賛している。アトランティスはプラトンの創作といわれているが、当時の伝説を元に描いた可能性も残っている。(略)
「アトランティス」とエジプトとの関係はまだまだ不明な点が多いが、「アトランティス」文明は否定できないであろう。だから、エジプト文明はすなわち「アトランティス」文明であったようだ。これは先ず間違いないようである。 現代文明は、戦争とか搾取とか、化石燃料など自然からの収奪とかによって、一見「発展」しているように見える。しかしこれは、自然の法則に従った「アトランティス」文明とは異なり、それとは逆向きの、継続性・永続性のない文明である。とにかく、本質的、建設的な意味においては、現代文明は、「アトランティス」文明から何一つ進歩していない。むしろ兵器産業の発達などに見られるように、人類を不幸にする文明が発達しているのみだ。 だから、人類を幸福にする文明は「アトランティス」文明によって高度に完成され、人類はそのお陰で今まで生きてきたといえる。現代文明は、「アトランティス」の高度な文明を忘却し、環境を破壊しつつ、「発展」している。人類は、「アトランティス」の「遺産」を食い潰しつつ、生きてきたと思われる。 フランシス・ベーコン(1561-1626)は、『ニュー・アトランティス』(岩波文庫2003年)(未完成)を遺している。ベーコンは、『薔薇十字団』と密接な関係だったようだ。その本のカバーの挿絵とか、本文中に出てくる天子と十字架を描いた刻印などで、示されているという。中丸薫氏の本でも「アトランティス」が出てくる。欧米では、「アトランティス」の研究が密かに進んでいるのだと思う。欧米では、いい意味にしろ悪い意味にしろ、「アトランティス」には大きな関心が持たれていると思われる。
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エジプトの学問や知識は、秘密にされた。選ばれた者のみに伝授されたという。
[天空の蛇より] エジプトの芸術や科学の知識は、ある一定のレベルを越えると秘密にされた。法則や公理、定理や公式などの学問の基礎は公開されることも、書き残されることもなかった。 (略)学者たちの一致した見解では、古代社会は、奥義を伝授される選ばれた者の為に、ある種の知識を保存しているという。それは現代に残っている多くの先住民社会でも同じだという。(略) ピタゴラス学派にとって「5」は神聖な数である。同教団の会員は命を賭けて秘密を守ると誓わせられた(最も、そのような秘密があったと解っているのは、誰かが漏らしたからに他ならない)。 エジプトが秘密の知識を持っていたことに議論の余地はない。ルービッチが明らかにしたように、エジプトの芸術や建築物には、調和と均衡の法則が使われているからだ。 だが不運なことに、古代エジプト人は大声で話すギリシア人よりも、秘密を守ることにずっと優れていた。あまりに優れていたので、エジプト学者たちは秘密があったことすら信じないほどだ。エジプトが秘密の知識を持っていたという証拠には説得力がある。(P34-35) これに対して、現在は非難が一般的である。 
現在、この秘密主義は完全に誤解されている。(略) ひいき目に見ても、秘密主義は非常識で非民主的だ。最悪の場合は知的横暴だと見なされるだろう。つまり、詐欺師まがいの神官層が、静かなる畏怖のもとに大衆を支配したというわけだ。(略)秘密主義はピタゴラス学派の習慣で、現代の数学者の激しい怒りを招いている。(P34) 現代の常識からすると、秘密なんてとんでもないということだ。しかし、古代の秘密主義にはそれなりに、正当な理由がある。調和・均衡の知識を悪用・誤用すると危険なのである。とにかく、知識なるものは悪用されると危険なのである。そのために秘密にされたのだ。 古代人の心は現代人よりもはるかに精妙だった。数学や幾何学など、ある種の知識を秘密にしておくことには、最もな理由があった。それは今も変らない。(略)(P34) 水爆や細菌戦など、恐怖の蔓延する世界においては、知識が危険なことは明らかだ。(略) しかし、現代人が感情的・心理的に受けている影響を細かく見てみると、ピタゴラス学派の興味深い「数」のシンボル主義の背後には、危険な知識が隠されていることがわかる。(略)(P35) 芸術は振動のデータからなっている。古代において、調和の法則に関する正確な知識が伝承された。それは秘密だったが、芸術、建造物、美術、音楽、絵画、儀式、香などに正確に反映されたという。 芸術は、その出来の良しあしに関係なく、複雑な振動で構成されている。人間の五感、視覚や聴覚や触覚、そしておそらく嗅覚と味覚は、振動のデータを拾い上げるように作られている。 データは脳で解釈される。そして、個人差はあるにしても、ほぼ同じ反応を引き起こす。ベートーベンの第九交響曲の最終楽章を子守唄だと思う人はいない。 すぐれた芸術家は、創作が法則にかなっていることを知っている。ベートーベンの「音楽は哲学よりも高度なひらめきである」という有名な言葉を考えてみれば、そのことが解る。これは後期の弦楽四重奏曲に取り組んでいたころのものである。 だが、芸術家たちにしても、その法則の正確な性質は解っていない。(略)(P35) 古代文明において奥義を伝授された人々には、調和の法則に関する正確な知識があった。 望みどおりの効果を生み出すには、調和の法則をどのように扱えばよいのか?彼らはそれを知っていたのだ。彼らはそれを知っていたのだ。彼らはその知識を建造物、美術、音楽、絵画、儀式、香に刻み込んだ。そしてゴシック様式の大聖堂や巨大なヒンドゥー教寺院、エジプトの驚嘆すべき建造物などをはじめ、数多くの神聖な作品を生み出した。それらは遺跡となっても、いまなお強力な影響を与えている。 そのような効果が生まれるのは、製作者が何のために何をしているのかを正確に知っていたからだ。これらは、複雑な知覚を巧妙に扱うことから生まれていた。(P36) 過去のゴシック大聖堂や宗教芸術、宗教建築物には、調和や均衡の知識が正しく応用されている。現代教育のせいで感情が永久に損なわれているのでなければ、そこに行けば神聖さを感じるはずである。(P38) ところが、「調和の法則」の観点からすれば、現代は知覚データの誤用もしくは悪用がはびこっている。その現代生活のストレスと緊張が人間に害を及ぼしているのだ。しかし現代人はこのことに気づいていない。「調和の法則」が、というより「調和」の視点そのものが、無視され忘れ去られているからだ。 さて、20世紀を眺めてみると、宗教芸術の傑作は見当たらない。しかし、知覚データの誤用から、数多くの有害な影響が生まれている。拷問は知覚データの悪用例だ。人類は拷問については前々から知っていた。だが、科学的に研究されたことはなかった。分析の結果、拷問は二つの形態を取ることがはっきりした。それは「知覚の喪失」と「過剰刺激」だ。たとえば光の入らない独房で知覚を喪失させたり、あるいは鐘の下に縛りつけて音による過剰刺激を与えるのだ。今日ではよく知られていることだが、現代生活のストレスと緊張は、計算できるほどの害を人間の環状面と心理面に与えている。しかも、さらに油断のならない影響が明らかとなっている。空港のそばに住んでいたり、工場で絶え間なく騒音にさらされながら働いていると、気が立ってくる。また、合成資材を大量に使ったオフィスビルで空気を循環させると、空気中のマイナスイオンが不足する。そのことが五感によって検知されることはなくても、これは分子レベルの振動現象であり、はっきりとした害を及ぼす。意気消沈したり怒りっぽくなり、疲れやすく、感染症への抵抗力がなくなるのだ。 さまざまな機械の出す周波数や超音波も、危険な影響を与えている。今日のデザイナーは、色やその組み合わせの効果を知っている。どのような色の組み合わせが有益、あるいは有害なのかを知っているが、なぜそうなるのかは解らない。 実質的に、今日の都市生活者の生活は、穏やかではあるが継続的に拷問を受けている状態にあるわけだ。そこでは加害者も犠牲者も同じように影響を受けている。そして、誰もがこれを「進歩」と呼ぶ。その結果は意図的な拷問と似たようなものである。精神的に強い者はこの挑戦を受け入れ、直視し、切り抜ける。残りの者は屈服し、無情かつ冷淡になり、動揺する。この耐えられない状況から救ってくれるのであれば、物にでも人にでも盲目的に従ってしまう。人は「自分のためだ」と思い込んで暴力に走り、あるいは暴力を大目に見る。このような状況を引き起こしているのは、高い理想を公言しながらも、自分が操っている力について、なんら把握していない人々だ。 これらの現象は五感を通じて直接、あるいはイオン化していない空気、音、超音波のように、より微妙な生理的受容体を通じて現れる。したがって(少なくとも原則的には)数学的に表現できる。(P36-37) もし「調和の法則」で以って現代を測れば、その不調和は数学的に表現できるという。現代は「調和の法則」の知識を忘れてしまって無くしているので、このことに気づかないのだ。古代文明人は「調和」を目標として生きていた。「調和」とは自然・宇宙との調和、人間同士の調和であり、日々の絶対的な共生の思想だ。それを絶対の目標として(日々感じながら)生きていたのだろう。それに引き換え現代人は、絶対の目標を持っているのであろうか。民主主義とか、平等とか、そういう目標は語られるが、それらは相対的な目標である。現代人には絶対的な目標が喪失したのだと思う。だから、20世紀には宗教芸術の傑作は見当たらないのだろう。(現代は金儲け原理主義の民族が世界に君臨しているので、あいつらは悪い、あの国は核開発をしている、だから制裁を加えよという、そういう思想になってくる。やられたからやり返すという思想だ。それらは相対的な思想でしかない。)現在のアメリカでは、無人飛行機、ロボット兵器など軍事技術の開発に巨額の資金が投じられている。ということは、軍事技術開発に成功すれば、巨額の利益が得られるということだ。つまりそういう企業が、「企業価値」の高い企業になるのだ。そういう現代だから、現代においては、古代の意味に於ける秘密主義は意味をなさず、無価値に感じられるのだ。神聖な目標や知恵のないところでは、古代の秘密主義は意味をなさないのだ。だから現代人は、古代の秘密主義を野蛮だとして罵倒を繰り返す。だが、どちらが野蛮なのだろうか。現代人の知性の方が野蛮である。私には「調和の法則」に従って生きることが、何よりの価値だと思われる。「調和」を以って毎日を暮らすことが一番の価値だと思う。だから、秘密主義という欠点があったとしても、「調和」に第一の価値を置いた古代の方が、それの価値を見失った現代よりも、値打ちがあると思う。だから、その秘密主義も非難する気にはなれない。また「調和の法則」のような価値ある知識は、言葉によって伝えられるものではなく、秘儀による伝承でしか伝わらない性質のものだと思う。神秘的なものだと思う。ところで、ウェストはエジプトの知識について、その秘密振りを具体的に次のように述べている。 エジプトでは、あらゆる知識の根底原理は秘密にされた。だが、作品の中にそれが表現された。そのような知識が本に書かれたとしても―聖なる書庫に関する記載はあるが、内容は今も解っていない―読めるのは特別な人に限られていた。したがって、著作に関しては、学生向けの数学古文書がほんの少しあるにすぎない。内容は実用的で世俗的だ。たとえば、パンとビールをX人に分配する問題などが扱われている。こういった学校用の練習問題も、高度で厳密な理論数学の知識を元に作られている。 天文学の教科書はなかった。しかし、驚くほど正確な暦があるため、エジプト人が高度な天文学の知識を持っていたことに疑いを挟む余地はない。 地理学や測地学の文献もない。しかし、多くの学者が研究した結果、大ピラミッドの位置や寸法、第一王朝にまで遡る墓や記念碑の位置や寸法、重さや測定単位の複雑な体系は、地球の周囲の長さ、極地の潰れなど、地理学的詳細を知っていなければ実現不可能だったことが解っている。 医学においても文献不足という問題がある。しかも、翻訳の難しさによって、問題はさらに悪化する。手に入る文献からは、文書化されていない知識がたくさんあることが解る。一方、書かれたものからは、解剖学、病理学、診断法に関する深い知識があったことが解る。 建築技術に関する文献もない。エジプトの壁画には、ありふれた作業の描写が多い。大工、陶芸家、ステッキ職人、漁師、船大工、酒造業者など、発達した熟練職人文化と全ての職業の絵がある。ところが、建築家が働いている場面はエジプト中を探しても見つからない。エジプトの巨大な建築物がどのように計画、設計され、施工されたかを示すものが一切ないのだ。 図面の断片がパピルスに精密な格子状で描かれていることから、計画そのものが存在したことは解る。それは当然のことであり、驚くに値しない。だが、これらの計画の根底にある知識については何も発見されていない。それでも、建築の知識は存在したのだ。建築物が実在していることが何よりの証拠だ。エジプト人の技術能力が高いことは古くから明らかだった。現在では、調和、プロポーション、幾何学、デザインに関する深い知識を持っていたことも解っている。そして、これらすべての技術的、理論的な知識は秘密かつ神聖とされていたが、その秘密が守られたことも明らかだ。秘密の知識は、エジプトの建造物などの作品に表出しており、影響を与えていた。ルービッチの研究は、芸術作品や建造物の構想を練る際に基礎となった、数学や調和に関する深い知識を、それらの作品から抽出することだった。(P39-40) 医術については、ヘロドトスは次のように述べている。 [歴史・上より] エジプトでは、医術が次のように専門別に分化している。それぞれの医者は一種類の病気のみを扱い、いくつもの病気を扱うことはない。従って至るところ医者だらけという有様で、目の医者、歯の医者、腹部の医者、患部不明の医者、等々がある。(巻2-84) もしかしたら、現代日本よりも医者が多いのかもしれない。少なくとも庶民にとって身近な存在であったのではないだろうか。スパルタにも、クレタにも、古代の秘密主義があったと、ソクラテスが興味深いことを言い残している。ソクラテスによれば、スパルタ教育には、深い秘密があったということだ。この秘密は、エジプト文明と通じていると思われる。ここに、ギリシアにはエジプト文明が相当伝承されたことがうかがわれる。それが民主制絶対信奉者、人間主義者などによって、潰されていったのが、真実の歴史かもしれない。 [筑摩世界文学大系3-プラトンより] ◎『プロタゴラス』より―そもそも、知を愛し求める哲学のいとなみは、ギリシア人たちの中にあっても、クレタとラケダイモン(スパルタ)において最も古くから、また最も盛んに行われているのでありまして、ソフィストの数も、かの地において最も多くを数えるのであります。しかるにかの地の人々は、この事実を全面的に否認して、無知を装っているのですが、これは、(略)これらの国民が他のギリシア人にたち勝っているのは智慧の力によるものだということが、ばれない為であり、彼らの優位は戦いと勇気のしからしめるところであると思わせておく為に他なりません。つまり彼らは、もし自分たちの優位のよってきたる所以のものを知られたならば、全世界の人々がそれ―すなわち智慧―を身につけようと努めるだろうと考えたのです。実際この秘密はうまく守られたので、あちこちの国々にいるスパルタ礼賛者たちは、完全に策略にひっかかり、彼らのまねをして、拳闘によって耳を潰してみたり、拳闘用の皮紐を拳に巻きつけたり、体育に熱をあげたり、短いマントをひっかけたりしているありさまであります。まるで、スパルタ人が他のギリシア人たちに対して支配的な地位にあるのはそういったことをしているおかげであるかのように!一方スパルタ人たちは、自国のソフィストたちと気ままに交わりたいと思い、その交際を秘密にしておくことはもう嫌になってきたので、これらのスパルタ主義者たちを始め、一般に自国に滞在しているよその国の者に対して、外国人追放令なるものをもうけ、それによって、よその国の者たちに気づかれないようにソフィストと交わるようにしております。また自分たちのほうからも、青年たちが誰一人として他国へ出て行くことを許していない―この点クレタ人たちも同様―のですが、これは、せっかく自分たちだけで教えるところのものを、青年たちが忘れてしまっては困るからです。 これらの国々にあっては、教育に関して高い誇りをいだいているのは、ただ男子だけではありません。婦人たちもまたそうなのであります。諸君は、私の申し上げているこれらの事柄が真実であって、スパルタ人たちが哲学と言論にかけては最高の教育を受けているということを、次のような事実から知ることができるでしょう。すなわち、諸君の誰でも、スパルタ人中もっとも取るに足らぬ人物を選んで、その人を相手に話し合おうとしてごらんなさい。ひとはその人物が、始めは一般に、言論においてある凡庸な資質しか示さないのを見いだすでしょう。しかしやがて、論議の進むうちに機会がくると彼はあたかも投槍の達人のように、突如はっとするような、短く圧縮された言葉を投ずるのでありまして、ために対話の相手方は、童児と何ら異なるところのないような観を呈するに至るのであります。かくして、まさにこのことに気づいて、スパルタ主義とは本来、体育の愛好よりは、むしろはるかに智慧の愛好にあるのだという事実を看破した人々は、今の世にも昔の世にも、決していないわけではありません。そういう人々は、如上の如き寸言を発することができるということは、完全なる教育を身につけた人間にして初めて可能なのだということを、よく知っているからであります。これらの人々の中には、ミレトスの人タレスがあり、ミュティレネの人ピッタコスがあり、プリエネの人ビアスがあり、我々と国を同じくするソロンがあり、リンドスの人クレオブロスがあり、ケナイの人ミュソンがあり、そして彼らのうちにあって第7番目に、スパルタの人キロンの名があげられていたわけです。彼らはいずれもそろってスパルタ人の教養の崇拝者であり、熱愛者であり、かつその弟子だったのです。人は、彼らの智慧というのが他ならぬ上述の如き性格のもの、つまり、それぞれによって語られた短い、肝に銘じるような寸言であることを、よく知ることができるでしょう。即ちこれらの人たちは、またともに相会してデルポイの神殿に赴き、かの万人に膾炙している『汝みずからを知れ』『分を超えるなかれ』という句を書きしるし、もってこれを彼らの智慧の最初の結実としてアポロンに捧げているではありませんか。(『プロタゴラス』342A-343C) 現代の歴史学者一般のスパルタに対する見解は、このソクラテスや当時の賢人たちの見解と異なるようである。一方は評価が低いが、他方は評価が高い。
[村田数之亮:世界の歴史4・ギリシアより] 前7世紀末に、メッセニアが反乱を起こした。苦しい戦いの後にそれは鎮圧されたが、この経験から、スパルタ人は、自分の国の特殊性を痛感して特殊な国制と生活をはじめ、反動的で閉鎖的な国家に変っていった。
それにしても、本来これほど真っ当な古代文明がなぜ衰えたのであろうか。ウェストは次のように言っている。 [天空の蛇より] 具体的な証拠はないが、繰り返し言われている伝承がある。それは「エジプトが衰えたのは、魔力の誤用がはびこったせいだ」というものだ。魔力とは、究極的には調和現象を操作することなのだ。(P38) 
つまり、調和の法則の誤用がエジプトの衰退をもたらしたと言っている。誤用ということは、エジプトの宮廷において調和の法則が正しく伝承されなかったということだろう。それはまた、エジプトの宮廷に正しい徳(優秀性)が伝承されなかったということだ。ソクラテスは、「友を益し敵を害するのが、正しい」という、当時有力者に行き渡った(現代でも通用する)正義観を疑った(プラトン『国家』334b−336a)。もっと高い正義観を探求しようとした。そのソクラテスはアテネの民衆による裁判によって死刑を宣告され葬り去られた。エジプト(古代文明)の衰退・滅亡と、ソクラテスの敗北は、その原因は同根であると思われる。
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古代エジプトには神話があったという。言われてみれば当然のことはである。しかし「ギリシア神話」のように研究が深まっていない。知られてもいない。エジプト神話は、「宇宙の法則や原理、過程や結びつきや機能を劇的に表現」するものだという。それは「ギリシア神話」などとは異なり、一般通念とは全く異なる神話だ。そういう神話の存在はあまり知られていない。だからいつまでたっても、エジプト神話や古代神話の科学性が、広く一般に認識されることはない。 [天空の蛇より] 神話はすべてを包括している。神話の伝える「天地創造の法則」に関する根本的な知識は、あらゆることに適用される。それぞれのネテル(原理)は形而上学的な発生と回帰を示しており、医学や天文学、神学などに応用されている。・・・普遍的な数、調和、均衡の役割を理解すると、神話のシンボル主義的分析の正しさが明らかとなる。 神話とは、知識伝達のために意識して選ばれた「手段」なのだ。古代人は知識を現代の哲学用語で表さなかった。・・・神話は理解に直接働きかけるが、エジプト文明全体が神話に基づいて構成されているのだ。(P211-212) 神話は宇宙の性質に関する情報を伝える古くからの手段であり、最も正確かつ完全で、おそらくは最良の方法ではないか。神話は、宇宙の法則や原理、過程や結びつきや機能を劇的に表現している。それらは数や数の相互作用によって定義し、表現することができる。(P43) ピタゴラスの数の神秘主義と言われているものはエジプトを起源としており(それよりも古いかもしれないが)、エジプトのあらゆる芸術や科学の根底にある哲学へと結びつく。実のところピタゴラスが行ったのは、神話から劇的要素を取り除くことである。(P46) これによるとピタゴラスの数学も、エジプト神話と密接な関係がある。その本質は、エジプト神話と同一ということだ。これは現代では考えにくいことであるけれども、何も驚くことはない。以前にも言ったように、古代エジプト文明は、完璧で、精緻な「普遍的法則」の理解を基礎にしていたからだ。 古代エジプト文明は、完璧で、精緻な「普遍的法則」の理解を基礎にしていた。矛盾のない首尾一貫した相関関係のシステムを見れば、彼らの理解がどれほど深かったかがわかる。そのシステムとは、科学と芸術と宗教を一つの有機体として統合するものである。言い換えれば、現代社会とは正反対のシステムだ。(P1-2) 古代エジプト文明は、完璧で、精緻な「普遍的法則」の理解を基礎にしていたから、科学と芸術と宗教は一つの有機体として統合していた。したがって神話が宇宙や森羅万象や人間存在の根本的な知識を伝えるものであっても、何ら不思議ではない。人類史において、その神話の意味が完全に消失しただけである。 神話の背後にある意味がこれほど完全に消滅したのはなぜだろうか?また、神話を作り出す才能が、人類から消失してしまったのは謎である。(P211-212) ここで謎と言っているが、それは古代文明の「普遍的法則」の理解が失われたからだろう。それをプラトンが指摘をしていると思うが、ここではそれを述べる余裕はない。古代エジプトにおいては、すべてがエジプト神話の一部であり、それと関連があるのだろう。エジプトの都市も、神話と関連しているという。 ヘリオポリス(下エジプト)、メンフィス(下エジプト)、テーベ(上エジプト)、ヘルモポリス(中エジプト)などの宗教の中心地は、対立する宗教組織でも、政治的、社会的連合体でもない。それぞれが天地創造のある段階や局面を表しているのだ。 ヘリオポリスでは、原初の創造的行為が表現された。つまり、ヌンからアトゥムが出現し、そこから分裂が起こり、ネテルたち、すなわち「原理の九柱神」が構成されたのだ。原理の九柱神とは、アトゥム、シューとテフヌート、ゲブとヌート、オリシスとイシス、セトとネフティスのことを指す。 メンフィスでは、創造神プタハの活動が表現された。「プタハ」とは地上に落ちたアトゥムのことである。…メンフィスでは、ヘリオポリスのヌンから出現したアトゥムが創造神プタハ、プタハの妻セクメト・ハトホル、息子ネフェルトゥムへと分化した。プタハはアトゥムの創造的な側面を表している。… ヘルモポリスでは、プタハの行為がトトを通して表されている。これは明白な宇宙の創造、つまり「言葉」である。 そしてテーベでは、分離したものの再結合が表されている。 エジプトの神話と神学は関連がないように見えるが、実はひとつのきわめて複雑なシステムである。…(P212-213) ヘロドトスは、ギリシアの神々はそのほとんどは、エジプトから来たと述べている。
[ヘロドトス『歴史・上』(岩波文庫、1971年)より] ディオニソスのみならず、殆ど全ての神の名はエジプトからギリシアへ入ったものである。ギリシアの神々がギリシア外の国から招来されたものであることは、私が自ら調査して確かめたことである。それも大部分はエジプトからの伝来であると私は考えている。例外としては前にも述べたポセイドンとディオスクロイの他、ヘラ、ヘスティア、テミス、カリテス、ネレイデスなどが挙げられるが、それ以外の神の名は昔からずっとエジプトにある。以上私は、エジプト人自身が言っていることを、そのままに述べているのである。エジプト人が名を知らぬと言っている神々は、ポセイドンを除いてはペラスゴイ人の命名したものであろう。ギリシア人がポセイドンを知ったのはリビア人からである。本来ポセイドンなる神をもっている民族はリビア人以外にはなく、リビア人は昔からかわらずこの神を崇拝しているからである。なお、エジプト人は半神(ヘロス)を祀ることはしない。(巻2-50) (訳注)半神(ヘロス)とは、ヘラクレスのように両親の一方が神性であって、死後神の扱いを受けるものをいう。(P420) ポセイドンがリビア人から来、ディオスクロイ、ヘラ、ヘスティア、テミス、カリテス、ネレイデスなどがペラスゴイ人から来たのだという。ペラスゴイ人はギリシアにおける先住民である。彼らの言語は非ギリシア言語であった。ギリシア人に追い払われたり支配されたが、のちにギリシア民族に吸収されたのだ。その時にその言語を変えた。(巻1-57)それ以外の、殆ど全ての神の名はエジプトからギリシアへ入ったものである。しかし、パン、ヘラクレス、ディオニュソスの序列が反対である。 この人々(エジプト王=ファラオ)に先立つ時代には、エジプトを支配したのは神々で、この神々は人間とともに住み、つねに神々のうちのひとりが主権を掌握していたのであるという。神々の中で最後にエジプトの王になったのはオシリスの子ホロスで、これはギリシアではアポロンと呼ぶ神である。この神がデュポンを倒し、エジプトに君臨した最後の神なのである。なおオリシスはギリシア名でいえばディオニュソスである。(巻2-144)
ギリシアでは、ヘラクレスとディオニュソスとパンは最も新しい神と考えられているが、エジプトではパンは最初の神々といわれる八神の中に入り、ヘラクレスは第2の神々、いわゆる12神のひとりであり、ディオニュソスは12神から生まれた第3の神々の系列に入る。(巻2-145) ヘラクレスからアマシス王(前600年頃)までの年数が、エジプトの伝承ではどれほどとされているかということは、すでに先に述べた(1万7千年)。パンはそれよりも古いとされ、またディオニュソスは3神の内最も新しいといわれるが、アマシス王の時代に至るまで1万5千年と数えられる。エジプト人は昔から常に年数を数えこれを記録してきているので、右の数字は確実なものであるといっている。 ところでカドモスの娘セメレから生まれたディオニュソスは、私の時代(前440年頃)から数えて精々千年前であり、アルクメネの子ヘラクレスは約9百年前、ペネロペを母とするパン(ギリシアの伝承ではパンはペネロペとヘルメスから生まれたとされる)はトロイア戦争よりも年代は新しく、私の時代まで数えておよそ8百年である。(巻2-145) 
この3神では、ディオニュソスがエジプトで一番新しい。そのディオニュソスは、前1万5600年頃である。そして、ギリシアではそのディオニュソスが一番古く、前1440年頃だ。なお、ギリシアの主神は、ゼウス、ヘラ、ヘファイストス、アテナ、アポロン、アルテミス、アレス、アフロディテ、ヘスティア、ヘルメス、デメテル、ポセイドンの、いわゆるオリンポス12神である。このようにギリシアはエジプトの神々を入れたのであったが、そこには混乱があり、似てはいてもエジプトの神話とは異なる神話になるのはやむを得ないことだ。ところでしかし、ギリシア人が直接エジプトから神々を入れたのではなく、ギリシア人は先住のペラスゴイ人から入れたということだ。当然そうであろう。ギリシア人が来る前に、おそらく地中海にはエジプトの神々が(もちろん不正確な形で)広まっていたのだ。それが自然である。 昔のペラスゴイ人は「神々」に祈願する際に、どんなものでも生贄にしたということで、またどの神に対しても特別な称号も名もつけていなかった。…それから長い年月を経て、彼らはエジプトから伝来した神々の名を習い覚えたのであったが、ただしディオニュソスだけは例外で、その名はさらにずっと後になって知ったものである。その後ペラスゴイたちは神の名についてドドネ(ギリシア西部エペイソス地方の町。ゼウスの神託地として有名)の神託所を伺ったのである。ドドネの神託所はギリシアの神託所の中でも最古のものとされ、しかも当時はこれが唯一のものであったからである。さてペラスゴイ人がドドネにおいて、異国伝来の神の名を採用してよろしいかどうかと神託を伺ったところ、差し支えなしという宣託が下ったのである。それ以来ペラスゴイたちはその神名を用いて犠牲式を行なってきたのであるが、後になってギリシア人がそれを受け継いだのである。(巻2-52) 地中海には、似たような神が各国にあった。それぞれの国はこのペラスゴイ人のように、エジプトの神々を導入したのだろう。しかし地中海の民は、神々に示された意味や由来を正確に理解せずに、自分たちの都合で導入したのだ。それでヘシオドスやホメロスらの詩人が、前9世紀頃、ギリシア人のために神々の系譜や、権能や姿を整理したのだ。 しかしそれぞれの神がどこから生まれてきたのか、あるいはこれらの神は太初からずっと存在していたのか、さらには神々はどういう姿をしているのか、といったことなどを彼らはいってみれば昨日一昨日まで知らなかったのである。ヘシオドスやホメロスにしても、私よりせいぜい4百年前の人たちで、それより古くはないと見られるが、ギリシア人の為に神の系譜をたて、神々の称号を定め、その権能を配分し、神々の姿を描いて見せてくれたのはこの2人なのである。彼らよりも古いといわれる詩人たちも、私の見るところでは2二人より後の人である。(巻2-53) このようにして、エジプトの神々は、ギリシアに導入をされた。ギリシアはその神話を文字として最も多く書き残した。それで現代人は「ギリシア神話」に親しくなり、それを古代文明の神話の典型と見なしてきた。しかし、エジプト神話とギリシア神話には大きな違いがあった。そしてエジプト神話の方が、古代文明を代表するものであった。
[天空の蛇より] 一見したところ、エジプトとギリシアの方法は同じように見える。しかし、両者のあいだには微妙だが重要な違いがある。ギリシアでは神々を人間的に等身大で表現し、神らしくない行動をとるのが典型的であるように描いた。一方エジプトでは「人の中に神々の属性がある」という概念から出発している。ギリシアのように神々が地上に降ろされてきたのではなく、人間が神々に高められるのだ ギリシアの神々はあまりにも人間的であり、神性に乏しい。森羅万象、天地の法則を伝えるものではない。ギリシアでこのようになった原因はヘシオドスやホメロスなど詩人にあったかもしれない。(神々の前でも)悪徳が容易であると言っているところがヘシオドスの詩にあるし、神々が(豪華な)供物によって人間のいいなりなると言っているところがホメロスの詩にある(プラトン『国家』364c-e)。(プラトンは、これらの詩人を批判しているようにみえる。)一攫千金を夢見る強欲な乞食坊主や預言者が、ヘシオドスやホメロスら大詩人の、こういうところを利用して、民衆や大衆を惑わし金儲けを企んだのだ。結局のところ、民衆や大衆はこれに巻き込まれていった。それでギリシアの神々は、神らしくない神になっていったのだろう。それはさておき、ヘロドトスはエジプトの祭事やいろいろの風習がギリシアに導入されていると述べている。
[歴史・上より] 
エジプトでは一般に豚を神に生贄として捧げることを禁じているが、ただセレネ(月の神)とディオニュソスだけには同じ時、すなわち同じ満月の日に豚を犠牲にしてその肉を食べる。… ディオニュソスには、その祭の前夜、エジプト人はそれぞれ家の前で子豚を屠ってささげ、その仔豚はそれを売った豚飼に持ち帰らせる。それ以外の点では、エジプトのディオニュソス祭はギリシアと殆ど全く同様に行なわれるが、ただギリシアのような歌舞の催し物はない。… ディオニュソスの為に男根を担いで行列する儀式を紹介したのはメランプスで、ギリシア人が現在行なっている行事は、彼の教示によるのである。思うにメランプスは有能な人物で、自ら預言術を編み出したり、またエジプトから様々なことを習い覚え、さして変更を加えることもなくギリシアに紹介したのであったが、ディオニュソスの行事もその一つであったのである。…私の考えでは、メランプスはディオニュソスの行事を、テュロスの人カドモスや、彼に従ってフェニキアから今日ボイオティアと呼ばれる地方に来住した者たちから聞き知ったというのが、最も真実に近いであろう。(巻2-49) (訳注)メランプス:伝説上の預言者中、最古の、そして最も有名な人物である。(P420) 右のほかにも、いろいろな風習がエジプトからギリシアに伝来しているのである。 しかしギリシア人が勃起した男根を具えたヘルメス像を作るのはエジプト人から学んだのではなく、ギリシアではアテナイ人が始めてこれをペラスゴイ人から取り入れ、アテナイから他のギリシアへ広まったものである。…(巻2-51) ヘロドトスは、これらエジプトからの伝来のことを遠慮しながら言っているようだ。これをあまりはっきり言うと不利益をこうむる可能性があるように見える。ギリシア人はその自分たちの歴史を知らないようだ。自分たちの文化は自分たちでつくったのだというのが、彼らの認識なのであろう。(ソクラテス、プラトンはさすがにそれを知っているようだが…)どの国も成功体験を経て自信過剰に陥ると、それ以前の経過(歴史)を美化したり忘れたりしてしまうのであろう。本当は、エジプトの神々もいろいろの風習も、ペラスゴイ人に伝わり、そこからギリシア人に伝わったのだ。また、ペラスゴイ人にしてもギリシア人にしても、エジプト以外の、リビアとか小アジアからも文化の伝来を受けたであろう。そして現代人と同じで、それらのうちどれを受け入れ、どれを排除するかの、正しい判断基準は持っていなかったようだ。(結局、プラトンの警告を無視して、間違った文化を受け入れた。彼らの国家の繁栄は長く続かなかった) ともあれ、おそらくは「アトランティス」発祥の「エジプト神話」、すなわち古代文明の「普遍的法則」を、人類(現代人)は思い出すべきではないかと思う。


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