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阿片戦争/南北戦争/明治維新/日銀

▼「我に通貨発行権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうが関係ない」
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-457.html
↑このネタはHEATさまが04年に書かれてるわね。 「蟻の兵隊」という映画も06年の公開前にHEATさまとちょっと話題になったわ。
澄田は84年12月から89年12月まで日銀総裁を務めていました。澄田は日銀総裁を辞任後、90年3月にフランスのラザード総本山、ラザール・フレールの顧問になりました。これは“大事件”のはずです。日本の中央銀行の元総裁が、ロスチャイルド系マーチャント・バンカーの顧問に就任したのです。澄田は総裁の前、大蔵省事務次官だったのです。つまり澄田と三重野はバブル経済を創り出し、そしてそれを崩壊させた重要人物なわけですよ。澄田がラザール・フレールの顧問に就任した同時期から、国際投機筋の日本売りが始まったんです。
澄田智を解く鍵は、おそらく澄田の父、澄田ライ四郎(フランス駐在武官・陸軍中将)だろう。父は興味深い(恐るべき)履歴の持ち主である。日本が中国大陸を侵略したとき、北支那方面郡第一軍指令官を務め、満州の利権を終戦時まで支配した重罪戦争犯罪人であったのだ。しかしGHQはその犯罪歴をほごにしてしまい、澄田ライ四朗は帰国した。彼が屍の上に積み上げた膨大な利益はいったいどこに行ったのだろうか?
彼らの一族は後世まで誰かへの忠誠を誓ったのであろうか。 父は満州事変の黒幕、澄田は父の代からフランス財閥と関係があったのである。 再度書くが、澄田智は金融財閥ロスチャイルド一族のマーチャント・バンカー、ラザール・フレールの顧問である。これを見過ごしていていいのだろうか… http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200409060000/

▼映画 『蟻の兵隊』…元日銀総裁澄田智氏の父、澄田第一軍司令官の戦犯逃れのために、中国国民党軍の閻錫山に売り渡された第一軍兵士の悲劇 http://www.arinoheitai.com/about/index.html
http://www.ishiikazumasa.com/gwife.b/gwife/2666mokuji/daiichigun_ari.htm
▼アヘン戦争:第3章:「ジャーディン・マセソン商会」とトーマス・グラバーの暗躍
この「ジャーディン・マセソン商会」は、日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・グラバーが長崎代理店(「グラバー商会」)を設立したことで知られている。グラバーは、1859年に英国から上海に渡り「ジャーディン・マセソン商会」に入社。その後、開港後まもない長崎に移り、2年後に「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立。貿易業を営みながら、薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売した。幕末維新期の日本では、多くの外国人貿易商が諸藩への洋銃売り渡しに関わっていたが、その中でも英商グラバーの販売量は突出していた。彼はのちに「三菱財閥」の岩崎家の後ろ盾となり、キリンビールや長崎造船所を作った。日本初の蒸気機関車の試走、高島炭鉱の開発など、彼が日本の近代化に果たした役割は大きかった。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe100.html
▼侵略国家アメリカの正体
http://blogs.yahoo.co.jp/mayumi_crystal/543702.html
↑南北戦争で余った武器弾薬はその後、ジャーディン・マセソンを通してグラバー商会が日本に売りつけた。そして日本は明治維新によってどっかのだれかの「支配下」に置かれることになったそーでw
▼メ−ソンの二大ドンが練る日本支配総戦略計画
日本にメーソンのロッジが初めて設立されたのは、1866年。明治維新の2年前だ。三菱商事の創立者の岩崎弥太郎との関係も深く、グラバーが出資の面で深く関わっていた高島炭坑と長崎造船所(三菱造船所の前身)を三菱に譲渡している程で、明治26年にグラバーが住居を東京に移した時、三菱の特別役員となっている。グラバーが来日した時には、既に多くのメーソンが入り込み、幾つかの商会が存在していた。彼は長崎の大浦海岸にグラバー商会を設立し、日本茶の輸出から商売に取りかかったが、次第に倒幕諸藩への武器弾薬、艦船の販売へと手を広げ、成功を収めていった。
日本初のメーソンロッジは1866年、横浜で創立。アメリカ独立、フランス革命、イタリア統一、ロシア革命など、歴史の潮流の裏には必ずメーソンが絡んでいた。日本の近代化もその例外ではなかったのである。そして、日本の場合、その前段階として忘れてはならない出来事は、1842年の阿片戦争だった。この戦争によって英国領となった香港に、メーソンの極東ロッジが創立され、アジア進出の拠点となったからである。トーマス・ブライク・グラバーは武器弾薬を調達した「死の商人」として、又観光都市長崎の名所「グラバー邸」の主だった事でその名は有名だが、三菱商事の創立者の岩崎弥太郎との関係も深く、グラバーが出資の面で深く関わっていた高島炭坑と長崎造船所(三菱造船所の前身)を三菱に譲渡している程で、明治26年にグラバーが住居を東京に移した時、三菱の特別役員となっている。竜馬の思想はメーソン員グラバーによって培われた。なぜ、竜馬にこのような発想が出来、其の行動を支える武器調達が出来たのだろうか。つまり、薩摩と長州が手を結び、戦線が拡大すれば、武器や船舶の需要も高まる…。グラバーこそ最も薩長同盟を待ち望んでいた人物ではなかったか。事実、薩長同盟の為の第一回の会議が行われると、グラバーは長州に対してミニエール銃とゲベール銃7300丁と、軍艦ユニオン号を調達しているほどである。
竜馬の謎の一つに、彼が海援隊というカンパニーの発想をどこから得たのかというものがある。それまでの日本人ではとても考えの及ばない発想だからだ。だが、グラバーが英国の大商社ジャーディン・マジソン社の長崎代理人であった事を考えれば、それも充分に納得がいく。又、その海援隊の最初の仕事は、長州とグラバー商会の間に立って、銃と軍艦の斡旋を行う事だった。 http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/650.html
グラバーは新貨幣の鋳造のため香港にわたり、香港の英国造幣局から貨幣鋳造機械を購入して大坂造幣局が建設された。ここで世界に初めて通用する貨幣「円」が鋳造されることになった。 http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/zuisou/glover.html
1869年2月5日、明治政府が大阪に造幣局を設置。香港の造幣局からイギリス製機械を購入し、イギリス人技師の指導を受け、明治4年(1871年)に完成。この建物の設計を担当したのは、この造幣局で使う機械の輸入ブローカーであった商人T.グラバーが仲介したアイルランド出身のイギリス人技師 T.Jウォートルス。http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/619c2af616b1b2a56bd57d717d08392e
明治維新を仕組んだグラバーと親密だった岩崎弥太郎の弟も元日銀総裁だっけね。

日本銀行の紋章 何故「ライオン」なのか?
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=364

(参考)▼お札 http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=35


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